台東区の遺跡



 

 はじめに

 台東区の地形は、上野台地とその東側に広がる東京低地の二つに大きく分けられ、1万年以前の旧石器時代からの遺跡は上野台地に集中し、貝塚が見られることから縄文時代には台地周辺が海であったことがわかります。古墳の存在や古代遺物の内容から、古墳時代から平安時代に有力者がいたことが推定され、台東区での人々の営みが上野台地を中心に始まったことを示しています。

 低地では、隅田川沿いの微高地<びこうち>(自然堤防)に古い遺跡が集中し、鳥越神社には古墳から出土することもある蕨手太刀<わらびてのたち>が現存しています。さらに浅草寺では鎌倉時代以降の瓦などが大量に出土し、江戸以前の浅草寺の様子を伝えています。

 江戸時代の遺跡では、浅草寺の他、上野公園周辺の寛永寺旧境内の遺跡、都立白鴎高等学校の大名屋敷跡、池之端の寺院跡などが発掘され、近世の信仰や生活を知ることができます。

 土の中に眠る遺跡(遺構・遺物)を埋蔵文化財といいますが、埋蔵文化財は文献資料に記されていない様々な過去の事実を、私たちに教えてくれる貴重な資料です。次にご紹介する八つの遺跡は、区の歴史を私たちに教えてくれる台東区の代表的な遺跡です。

上野忍岡<うえのしのぶがおか>遺跡群

 台地上の上野公園から不忍池にかかる遺跡です。この地域は、古代には豊島郡荒墓郷<としまごうりあらばかごう>に属し室町時代の板碑<いたび>も確認されています。江戸時代初期に大名屋敷、寛永2年(1625)には寛永寺の境内となりました。

 都立上野高等学校構内の発掘で護国院の旧墓所が明らかとなり、東京国立博物館構内では、徳川将軍家の霊廟へ通じる参道や広場、本坊が発見され、参道からは江戸時代初期の楽焼香炉<らくやきこうろ>も出土しています。国立西洋美術館から上野駅前までには徳川御三卿<ごさんきょう>のうち清水・一橋家の墓所などが確認されました。江戸時代以前としては、縄文から平安時代の住居跡・古代の寺院跡など、また明治時代の東京音楽学校(奏楽堂)の煉瓦基礎やガラス瓦が発見されています。

領玄寺<りょうげんじ>貝塚

 台地の西側、谷中領玄寺を中心に不忍池の谷(根津谷)の東縁に広がる縄文時代中期の貝塚です。ハマグリ・アサリ等の貝殻、石斧<せきふ>・石鏃<せきぞく>(石製矢じり)等の石器、縄文土器などの遺物が発見されています。この谷沿いには北に延命院貝塚(荒川区)、対岸には動坂<どうざか>遺跡(文京区)の貝塚などが分布しています。平成7年には説明板を設置しました。

谷中三崎町<やなかさんさきちょう>遺跡

谷中三崎町遺跡の墓域跡全景
▲谷中三崎町遺跡の墓域跡全景

 上野台地の西縁に立地している遺跡で、領玄寺貝塚の北に位置しています。平成11年に江戸時代の寺院跡(正運寺<しょううんじ>)を発掘し、ほぼ旧境内地が確認でき、多数の墓や大型地下室等を発見しています。幕臣井戸氏の墓誌や多くの鏡、名前が書かれた土面などが出土しています。また、縄文時代の土器も出土してます。

 

 

 

摺鉢山<すりばちやま>古墳

 上野公園内に比較的よく保存されています。現存の全長約70メートル、後円部の直径約40メートルで西に前方部を向けた前方後円墳です。埴輪の破片や須恵器<すえき>が出土したこともあり、約1500年前に築かれたものと推測されます。古墳時代にはこの古墳を中心に、東京国立博物館構内にかけて古墳群を形成していましたが、現在ではこの古墳が唯一残っているものです。

湯島貝塚

 本郷台地の東縁に立地し、不忍池に面して台東区から文京区に広がる遺跡で、国の重要文化財である旧岩崎家住宅内を中心とする貝塚です。縄文時代後・晩期の貝塚で、多量の貝・魚骨・獣骨のほか、多数の縄文土器、磨製石斧等の石器、釣針等の骨角器(骨や角製の道具)、耳飾、土版(土製の守り札)等が出土し、人骨も埋葬されていました。平成8年の発掘では縄文時代早期の炉穴、古墳時代の貝層、平安時代の住居跡、江戸時代の地下室なども発掘されています。江戸時代には当地は越後高田藩榊原家中屋敷でした。

浅草寺遺跡

 隅田川西岸の微高地が最も広く高くなる地点に立地し、古代には遺跡周辺を下総国(現、千葉県)へ抜ける官道が通っていたようです。浅草寺は寺伝によると、推古天皇36年(628)の創建で、区内最古の寺院として著名です。本堂・五重塔の再建や影向堂<ようごどう>新設等の調査により、奈良・平安時代の遺構が確認され、仏具等の須恵器(古代の陶器)、和同開珎<わどうかいちん>等の皇朝十二銭<こうちょうじゅうにせん>(古代の貨幣)などが出土しています。また、多数の中世の瓦が出土し大きな伽藍を持つ寺院であったことが想像され、鎌倉幕府の文献『吾妻鏡』に浅草寺の記述があることから鎌倉幕府との関係も推測されます。

 他に多数の板碑や火葬骨を収納する渥美(現、愛知県)産の蔵骨器<ぞうこつき>も発見されています。六角堂の調査では、六角堂基礎の石組から土製や木製の人形、針、櫛、一字一石経、羽子板、漆器、銅鏡など江戸の信仰や生活ぶりがわかる遺物が出土しました。

元浅草遺跡

 上野台地と隅田川の中間の東京低地に位置する都立白鴎高等学構内の発掘で江戸時代初期の墓跡が多数発見されました。この地は江戸時代中期に本多家上屋敷、後期には出羽松山藩酒井家上屋敷でした。遺物では、鳩笛等の玩具やその土型が多数出土していることにより屋敷内で玩具、人形類を製作していたと考えられます。その他中国産染付、色絵や九州の鍋島産染付等の高級陶磁器や貴重なガラス製品等が出土しています。

入谷遺跡

入谷遺跡(町屋跡)の全景
▲入谷遺跡(町屋跡)の全景

 東京低地に立地する遺跡です。平成11年の発掘では、江戸時代の良感寺跡と町屋跡が発掘されました。町屋跡からは井戸跡やその井戸から延びる竹樋(竹製の水道管)、桶を転用した建物の基礎などの遺構が出土しました。遺物では、「天明八歳(年)」と墨書された桶蓋、「大和屋」と焼印された井戸枠に利用された桶、「瓢」と金彩された柄杓など多数の木製品や、当地周辺で作られたと思われる「坂本」銘の土鍋などの陶磁器が出土しています。

 




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