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木造四天王立像
(もくぞうしてんのうりゅうぞう) |
台東区有形文化財〔彫刻〕(平成16年3月登載)
台東区上野桜木 寛永寺
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本四天王像は、寛文4年(1664)に大仏師左京法橋康乗〈さきょうほっきょうこうじょう〉によって宝樹院殿〈ほうじゅいんでん〉(4代将軍家綱の生母)の13回忌のために金銅釈迦如来坐像(都指定有形文化財)と共に制作され、霊牌所に安置されました(現在は御霊殿〈ごれいでん〉の須弥壇上に安置)。 康乗(1644〜89)は京都七条仏師の25代で、寛文2年(1662)に法橋に補されました。この頃から東大寺大仏師職の要職にあり、将軍家や皇室に関係する仏像を多く制作しました。
本像はヒノキ材の寄木造で、髻〈けい〉を結い宝冠を着けます。瞋目〈しんもく〉忿怒相〈ふんぬそう〉で、各像とも一邪鬼を足下に踏んでいます。光背は火炎付の輪宝光です。
各像とも彩色がよく残っており、持国天・増長天・広目天・多聞天の身色は、それぞれ緑・赤・肉色・青です。台座底面には朱漆で銘文が記されています。 四天王像の形と身色は鎌倉時代初期の記録(醍醐寺蔵「弘安7年東大寺大仏殿図」)に見えるもの同じで鎌倉時代以降、奈良を中心に流布した姿です。「日光東叡山御令旨写」(『御用覚書』収載)中に、造像にあたっては必ず、「如相伝、可令彫刻者也(相伝の如く、彫刻しむるべきものなり)」とか「任大仏師家伝之旨、可作進之者也(大仏師家伝の旨に任せて、これを作り進むべきものなり)」とあるように七条仏師代々相伝の形が踏襲され、基本的な形に変化はつけられませんでした。 本木造四天王立像は、近世初期の優れた作品であると同時に、造立時期、制作者、造立目的を知ることができ、区内の歴史を知る上でも重要な遺品です。
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