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菊人形の頭作り(きくにんぎょうのかしらづくり) |
台東区無形文化財〔工芸技術〕(平成3年度指定)
台東区谷中
![]() 田口さん |
菊人形は、江戸時代末期に巣鴨の植木屋が、 菊細工と、人間そっくりの活人形〈いきにんぎょう〉を組み合わせて、団子坂〈だんござか〉に進出して興行したのがはじまりで、このときはすぐ廃れますが、明治初年、再び団子坂で復活し、明治末年までにぎわいをみせ、庶民の娯楽として欠かせないものでした。その後、活躍の場を両国国技館に移し、場面転換にモ−タ−を使う大仕掛けなものになりました。
菊人形は、人形師・菊師・興行主の三者分担作業で成立します。菊師は胴体の骨組みと菊付けを行い、興行主はプロデューサーとして作業に加わります。人形師は人形の手・足・頭を製作し、その特色は、人間そっくりの造形を持ち、数週間に及ぶ屋外展示に耐え得る頭を作るため、手作業で行う胡粉〈ごふん〉(貝がらの粉末)塗りの技術にあります。
田口義雄氏の祖父、緑三郎〈ろくさぶろう〉氏は、明治20年代、当時の名人、大柴徳二郎〈おおしばとくじろう〉に同行し、浅草から団子坂と反対側の三崎坂〈さんさきざか〉上に移り住み、当時最大の植木屋に、一興行約60体の菊人形を提供していました。なお、田口人形店の屋号「面六〈めんろく〉」は、家業として作った神楽面〈かぐらめん〉の「面」と緑三郎の「緑(六)」を縮めたものです。
田口さんは、明治44年1月27日、谷中で生まれ、大正12年、谷中小学校卒業後、国技館に出品していた父を師にして、兄とともに修業しました。毎年、秋になると、菊人形開催地の福島県二本松〈にほんまつ〉などに赴き、活躍していました。
*田口義雄さんは、平成14年4月15日、お亡くなりになりました。ご冥福をお祈り申し上げます。
菊人形の頭(下町風俗資料館蔵)