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彫金(ちょうきん) |
台東区無形文化財〔工芸技術〕(平成4年度指定)
台東区元浅草
彫金は、近世に「彫り」の技術が洗練され、明治時代以降、政府の奨励により多くの優秀な工芸作家が現れました。
彫金の線の技法には、基本的な線彫り「毛彫〈けぼ〉り」ののち、鏨〈たがね〉で線に沿って軽く持ち上げる「蹴上彫〈けあげぼ〉り」があります。この技法は、野澤正次氏とそのご子息忠義氏が開発した技法です。
野澤正次氏は、明治41年4月25日、水戸市で生まれ、大正11年上京しました。師として仰いだのは、東京美術学校(今の東京芸術大学)で学び、日展審査員・伝統工芸会理事を努めた介川芳秀〈すけがわほうしゅう〉でした。正次氏は、昭和2年谷中初音〈はつね〉町に、同7年現在地に移り、彫金の技術を磨きました。
戦時中は、ジェラルミンの小物を作り、戦後すぐは、燭台〈しょくだい〉やワイングラスなど、外国人が持ち込む土産用の銀製品に彫金を施していました。
その後は銀器に文字や簡単な文様を彫り、小売店に納め、扱う品は、祝儀・贈答用の銀食器や花瓶・優勝カップなどで、仕事のかたわら、銅額を素材として作家活動を行っていました。
職人が大幅に減少、制作工程が変化し、伝統的な彫金技術が忘れ去られようとしている現状で、野澤さんは、師の介川芳秀のもとで伝統的な彫金の技術を学び、体得した数少ない彫金師でした。特に、「蹴上彫り」の技法を用いた作品は、点が並び、下に描いた線が見た目にはわからない見事なものです。
※野澤正次さんは、平成6年10月21日、お亡くなりになりました。ご冥福をお祈り申し上げます。
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