河鍋暁斎墓(かわなべきょうさいはか)

台東区史跡(平成5年度登載)
台東区谷中 正行院


河鍋暁斎墓 河鍋暁斎は、幕末から明治時代前半にかけて活躍し、当時一世を風靡〈ふうび〉した画家です。
 天保2年(1831)、下総国古河〈しもうさのくにこが〉(現、茨城県古河市)で生まれました。はじめ浮世絵の歌川国芳〈うたがわくによし〉の門下に入り、のち狩野派に入門し、嘉永2年(1849)修業を終え、「洞郁陳之〈とういくのりゆき〉」と号しました。安政5年(1858)頃には皮肉や風刺、滑稽味を持つ「狂画〈きょうが〉」を描きはじめ、「狂斎〈きょうさい〉」とも名乗るようになりました。しかし、明治3年不忍池の料亭で描いた絵が原因で逮捕され、このときより「狂」を「暁」に変え、号を「暁斎〈きょうさい〉」と改めました。
 晩年は、根岸(現、荒川区東日暮里)に住み、区内の寺院や料亭に数点作品が残っており、郷土の画家としても大いに評価すべき人物です。明治22年に没し、瑞輪寺塔中正行院に葬られました。
 本墓は、自然石を重ねており、一番上の石は蛙をかたどったもので、蛙を殊のほか愛した暁斎らしい墓石といえます。

 

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