|
一遍聖人行状図版木(いっぺんしょうにんぎょうじょうずはんぎ) |
台東区有形文化財〔絵画〕(平成6年度登載)
台東区西浅草 日輪寺
この版木は、2面あり、各面ともサクラ材で制作され、板を8枚に矧〈は〉ぎ、ほぞ(木+内)(部材を接合するための突起)で留めてあります。大きさは、各面ともおよそ縦133cm、横62cm(画面のみ)、厚さ1.6cmで、版木箱に保存されています。
各面に、絵と詞書〈ことばがき〉から成る、時宗宗祖一遍聖人智真〈ちしん〉(1239−89)の生涯を描いた『一遍上人絵伝』第1段から第48段までが彫られ、また第1面に「高祖一遍聖人行状図」、第2面に「藤澤山清浄光寺蔵版」の文字が大きく彫られています。
一遍聖人の伝記絵としては、歓喜光寺〈かんぎこうじ〉蔵「一遍聖絵」(13世紀末成立)に代表される、一遍の高弟聖戒〈しょうかい〉が編んだ聖戒本系統と、同じく一遍門弟宗俊〈そうしゅん〉が14世紀初めに編んだ「一遍上人絵詞伝」という宗俊本系統の2系統が存在します。本版木は、前者の聖戒本の場面を忠実に再現し、かつ小さい画面に収まるよう適宜省略を施し、漢文体で詞書を記しています。その画風及び版木の制作技術から江戸時代につくられた優品と認められ、保存もよく、聖戒本系統の一異本を伝える版木であり、高祖伝の版木としては極めて珍しく、また近世における時宗の広がりを考える上でも貴重です。
当寺は、神田山日輪寺と号し、元は神田柴崎村(現、千代田区神田一帯)にあり、「柴崎道場〈しばざきどうじょう〉」と呼ばれていました。江戸時代の初めに、銀〈しろがね〉町(現、中央区新川)に移り、慶長8年(1603)現在地に移りました。江戸時代を通して時宗寺院の総触頭という重要な役割を果たし、江戸後期には学寮〈がくりょう〉が置かれ、僧侶の勉学の場として発展しました。
一遍版ったもの