| 網代とは、普通は竹を編んだものを指し、古代から近世を通じて、貴族や武家の乗り物「網代車」や「網代輿」に用いられました。また茶室の内装にも好んで用いられ、中世より現代までその技は連綿と伝えられています。 一方、網代とは別の技術に、木材を薄くして貼付する「ツキ板」貼りがあり、法隆寺の「木画箱(もくえのはこ)」などもこの範疇に含まれます。東京のツキ板のはじまりは、大正3年、静岡の 家具業者が入谷に移り住んでからといわれています。この前後に、ツキ板と網代編みという異なる2つの技が結び付き、少なくとも大正時代には箪笥の引き出しや扉の装飾に用いる指物の一職種としてクワ網代貼りが誕生したと考えられます。 入谷にお住まいの山田傳さんは、大正9年4月5日、浅草雷門で生まれ、父千吉氏(故人)より江戸指物の技術と網代の編み方・貼り方を教わりました。千吉氏は、クワ樹匠が多かった 伊豆韮山出身で、その師匠については不明ですが、ツキ板の発明者といわれる人物と縁戚関係に当たり、ツキ板に関しては草創期から関わりがあったと推測されます。 網代を編み、さらにそれを貼る技術を持つ人は非常に少なく、山田さんは都内でただ一人の職人さんです。作品は、茶筒・屑箱など全面網代の小物や、箪笥の引き出しなど江戸指物の一部に用いられます。山田さんは、粘り気のあるクワ(桑)材を細く加工し、木片を交差させて網代を編みます。そして編み目がずれないよう、また継ぎ目がわからないよう細心の注意を払って板に網代を貼っていきます。何も貼らないものより、網代貼りを好む顧客は多いので、高級感を出す網代は伝統工芸の存続に貢献しているといってよく、山田さんの技術は貴重です。 |
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