| 大黒天はシバ神の化身として戦闘を司る神で元々形相は忿怒(ふんぬ。怒りをあらわした)相でした。一方、インドでは寺院の台所に食べ物の神として祀られたといい、その風潮が日本にも伝わりました。鎌倉時代後半から次第に福の神としての性格を強めていき、やがて神仏習合思想によって大国主神と同一視されて庶民の信仰を集めました。その像の形は、右手に小槌を握り、大黒頭巾をかぶり、米俵の上に立つ温和な顔の短身の像が多く制作されるようになりました。 本像も、他の像と同じく、大黒頭巾・大きな袋・小槌を装備し、極端に背丈が小さく、プロポーションは三頭身です。大きく開いた口から舌がのぞき、両頬にえくぼを浮かべた 満面の笑みをたたえており、全体的にかわいらしい印象がします。像の高さは約56cm。ヒノキ材で作られ、漆箔を施し、玉眼が嵌め込まれています。台座は、蓮の葉をあらわす荷葉座と俵形をした台座で構成されています。 本像は、荷葉座裏や俵の天板の裏面に墨で書かれた銘文によると、元禄3年(1690)3月、馬喰町二丁目(現、中央区日本橋馬喰町)法橋大仏師兵部なる人物の手により制作されたと知られます。また奉納者は、当寺7世の住職「法華院日幸」で、「感応寺過去帳」に「大黒天謹彫奉祀」と記される人物です。 当寺は、法華宗(本門流)で、明治時代の文献『東京案内』によると、はじめ相模国小田原の地にありましたが、元和6年(1620)浅草へ移り、寛永11年(1634)下谷に、慶安3年(1650)現在地に移ったといいます。 平成2年に漆箔を塗り直し、現在は本堂脇の厨子内に安置されています。 |
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