






しょうわ33年とうなんアジア14か国学校きゅうしょくゼミナール


しょうわ32年には東京都のじっけん学校として学校きゅうしょくのけんきゅう
はっぴょう会をひらきました。その前に、ぜん国の給食けんきゅうしゅうかいの
けんきゅう会のかいじょうのひとつにもなりました。
しょうわ33年にはとうなんアジア14か国のだいひょうをまねいて、学校きゅう
しょくゼミナールをひらきました。しゃしんはその時のようすです。
食パンなど、ふつうは出ませんでした。ふだんはコッペパンです。右前のおわんは、
脱脂粉乳(だっしふんにゅう)といいます。牛にゅうが高くてかえないので、牛にゅう
からバターを作ったのこりをおゆでといたものです。このごろは見かけなくなった
「先われスプーン」(スプーンとフォークのりょう方になる)で食べていました。



どうとくのけんきゅうで、しょうをもらいました

へいせい13年1月に、もんぶかがくだいじんから しょうをもらいました。
| たいしょうじだいの、おもいで話 がっくいきの、「ねぎし」は東京しないだったが、「にっぽり」はいなかの あつかいだった。学校のまわりには、ゆうめいな作家や、絵かきさんが、たくさん すんでいた。とくに、「きょうじやさん」が、多くすんでいた。学校のとなりの 「いしいなり」の、のぼりばたは、ゆうめいな絵師(えし。絵かき)の、 さかいほういつさんが かいたものといわれている。 そのころ、かなそぎ小ではひと月20銭(せん)のげっしゃをとっていて、 まい月、区からしゅう金にきていた。(いまは、ただですね) また、ほごしゃ会の時には5銭あつめて、1年のはじめに、「ふで」や 「すずり」「かみ」など、学校でつかうものをまとめてかって、 子どもにくばっていた。 1じかんの長さは、いまとおなじように45分だったが、やすみじかんは 15分あった。 かなそぎ小にはたらいていたしゅじさんの中には、えどじだいの、えらい さむらいの家にうまれたひともいて、みぶんも高くとてもかんろくがあった。 (大正7年から10年まで教えた、ないとう先生の話) いまのような、学校まえのひろいみちはなくて、うらがわのほそいみちが つうがくろだった。学校のまわりには、高いたてものがなかったので、2かいから うつくしい ふじ山のすがたがよく見えた。 「にっぽり」から「ねぎし」にかけて、しずかに「おとなし川」がながれていて たくさんさかながつれた。「おぎょうのまつ」から「みのわ」までおうふくすると 30cmくらいのナマズや、60cmくらいのコイが、バケツにいっぱいとれた。 こうしゃはボロだったが、いろいろなものがそろっていたので、にっぽりの おみせやさんの子どもや、みのわ、りゅうせんちいきの子どもたちが、わざわざ かよってきていた。そのころは、学校で「げた」がぬすまれることがよくあったが かなそぎ小ではぬすむ人がいなかったので、ひょうばんがよい学校だった。 わたしのときは、中学校にしんがくしたのは5人くらいで、その中から 大学までいった人は2人だけだった。ほとんどの子は小学校をそつぎょうすると おみせのこぞうさんになった。 先生たちは、きょうしつでは とてもきびしかったが、よるになると、10人 くらいの子どもを、じぶんのいえによんで、べんきょうをおしえてくれた。 (大正8年そつぎょうの たがけんじさんの話) −−(そうりつ70しゅう年きねんしをもとにやさしくしたもの)−− 大まかなれきし |
| (明=めいじ)(大=たいしょう)(昭=しょうわ)(平=へいせい) 明36 東京市金曽木尋常小学校(とうきょうし かなそぎじんじょう小学校) が作られた。子ども226名。先生たち6名。 「金曽木」の名は、かまくらじだいに、この土地をおさめていた りょうしゅの金曽木氏(かなそぎし)からとったもの。 明37 1回めのそつぎょうしき。そつぎょうせいは 男子17名 女子10名。 明40 高等(こうとう)小学校もつくる。 明41 こどもがふえたので、1・2年生は、ごぜん組とごご組にわける。 じどう数891名。 ぎむきょういくが4年間から6年間となる。 明43 竜泉寺尋常小学校(りゅうせんじ じんじょう小学校)ができて、 いちぶの子どもがてんこうした。 大11 学きゅう数22。じどう数1355名。 大12 9月1日にかんとうだいしんさいがおこる。子どもはかえった あとだったので、学校でけがをした子はいない。 さかもとけいさつしょがやけたので、こうしゃのいちぶを、 けいさつしょにした。 家がやけてしまった人が、なんびゃく人も、学校でくらした。 10月1日よりじゅぎょうをはじめた。 大14 こうていを、コンクリートでほそうする。 昭 9 コンクリート2かいだて(一ぶは4かいだて)の新しいこうしゃができる 25mのプールもつくられた。 ガラスばりの回りかいだんをもつ、白いビルのこうしゃは、 このへんでは ゆう名だった。 昭16 東京府東京市金曽木国民学校(とうきょうふ とうきょうし かなそぎ国民学校)と名前がかわる。 昭18 くうしゅうから子どもをまもるため、ふくしまけんやまぐんの やまとむら、あつしおむらに、しゅうだんそかいした。 昭20 東京大くうしゅう(3月10日)によって、家をなくした人を たくさんこうしゃにすまわせた。 がっくいきの家ははんぶんいじょうもえてしまったが、学校は むきずだった。 昭22 東京都台東区立金曽木小学校(とうきょうと たいとうくりつ かなそぎしょうがっこう)と名前をかえる。(今のなまえになる) 昭26 東京都のじっけん学校として国語・算数の教え方の けんきゅうはっぴょうをする。 昭28 そうりつ50周年きねんしきてんをおこなう。いまの校歌をつくる 昭32 給食のけんきゅう発表会をおこなう。 昭33 東南アジアの15の国のだいひょうの人たちをまねいて、 給食のけんきゅうかいをひらく。 昭34 学校給食優良校(きゅうしょくゆうりょうこう)としてもんぶだいじんに ひょうしょうされる。 昭60 あたらしいこうしゃができる。(いまあるこうしゃ) 平 5 そうりつ90しゅう年きねんしきてんをおこなう。じどう数328名。 平10 そうりつ95しゅう年きねんしきてんをおこなう。 平11 どうとくの、けんきゅうはっぴょうかいをひらく。じどう数270名 平12 じどう数261名 どうとくきょういくで、もんぶかがくだいじんに、ひょうしょう される。 平13 じどう数244名 平14 じどう数238名 9がっきゅうにふえる。きょうしつにエアコンがはいる。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 平15 そうりつ100しゅう年きねんしきてんを11月1日にひらきました。 |