朝倉彫塑館は、彫塑家朝倉文夫(1883〜1964) が住居兼アトリエとして自ら設計・監督をし、8回におよぶ増改築の後、昭和3年から7年の歳月をかけて新築。昭和10年、現在の形となりました。

 本館は、西洋建築(鉄筋コンクリート造り)のアトリエ棟と、竹をモチーフとした日本建築(数奇屋造り)の住居棟で構成されています。ここでは、異質であり対立するはずの2つ要素が違和感なく調和・融合されています。

朝倉文夫

   
 3階部分まで吹き抜けになっている天井までの高さは8.5m、床面積は175u。床下(7.3m)には電動昇降制作台(未公開)が格納されています。
 ここでは、「墓守」「時の流れ」「仔猫の群」「大隈重信侯像」などの彫塑作品を常設展示しています。
   
 
 天井までの高さが約4mあるこの部屋は、書斎として使われました。南側の窓を広くとり三方の壁には天井まで和洋の書籍が並んでいます。洋書のほとんどは、朝倉の恩師である岩村透の蔵書です。また朝倉の遺品やコレクションも併せて展示しています。
   
 
 日本建築にとりこまれた“洋”の空間。海外からの来客をここでもてなしました。
 中国の画人孫松はこの部屋に永く逗留し、多くの作品がこの部屋で制作されました。
 現在は美術解剖学の講義に使用した骨格標本他、朝倉の遺品を展示しています。

 
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 「五典の水庭」と呼ばれる中庭は、朝倉が自己反省の場として構成したもので、地下の湧水を利用し、儒教の五常の教えを造形化した「仁」「義」「礼「智」「信」の五つの巨石が配されています。
   


また、1月の白梅に始り12月の山茶花で終わるまで、四季折々に白い花を咲かせる木が植えられています。
それは、生涯にわたって素直さや純粋さを持ちつづけたいとのぞんだ朝倉が、白い花を素直、純粋の色とみたところからきています。しかし「物事は満つれば欠くる」の喩えもあり、完璧を避けるため、一本だけ赤い花(百日紅)が植えられました。
   
 
 この部屋は、朝倉が忙しい制作の合間に寛ぎの場として使用していたもので、一隅に炉が切られるようになっています。
 竹と丸太を主体とした数奇屋風の造りに、神代杉の天井、杉の変木の床柱、胡麻竹の障子の桟など珍しい建材が使われています。


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 池に面するこの部屋は、室内を広く使用するために作りつけの引出しになっています。この引出しは、和服を折りたたまなくても済むように幅広く作られていて、用材も防虫効果のある楠(くすのき)にするなど工夫されています。

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