シンボルの時計台よりの展望
<北>
西 上野駅・上野公園方面 ↓ |
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←北 入谷鬼子母神・三ノ輪方面 |
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| 南 御徒町・日本橋方面→ |
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↑ 東 浅草・蔵前・亀戸方面 |
校歌合唱 上野小音頭 思い出写真 上野小 下谷・清島小 |
![]() 校章 |
![]() シンボルマーク |
![]() トライト台ちゃん |
![]() トライトうてなちゃん |
校章は、前身の下谷小学校・清島小学校がいずれも桜の中に校名が書かれた校章を
使っており、伝統を受け継ぐことになることや、上野公園は桜の名所であること、台東区の
花が桜であること、そして、新しい春に咲く花であることなどから、桜の中に「上野」の文字
を入れたデザインとしました。
シンボルマークは不忍池や上野山に飛来する鳥をモチーフに頭文字のUをデザインし、
子どもたちの健やかな成長と、元気に中学校に飛び立って行ってほしいとの願いを
込めたものです。2つに分かれた尾は2校が統合されて誕生したことを表しています。
トライト台(だい)ちゃん・うてなちゃんは創立10周年時に制定されたキャラクターです。
モチーフは校舎のシンボルの時計台。トライトは TRY と LIGHT の合成語です。
英語を使って、国際理解を深める意味をも含めて命名されました。
台は時計台の台。台の訓読みの「うてな」を女の子の名前としました。
上野小学校の歩み
本校は、明治からの歴史を持つ下谷小学校と清島小学校が児童数の減少により
統合されて平成2年に誕生した学校です。
(台東区に統合前は下谷小は下谷区立、清島小は浅草区立でした。)
| 下谷小学校(したやしょうがっこう) | 清島小学校(きよしましょうがっこう) |
| M8.11.25 公立下谷学校として 開校。下谷区坂本3丁目。 M19 車坂に移転。 明治中期より 忍岡・入谷・ 西町等の分校を設置。これら は後に独立する。 M39 東京市下谷尋常小学校と改称。 T12 関東大震災により全校舎焼失。 S3 北稲荷町に鉄筋コンクリート3階 建ての新校舎落成。 S16 東京市下谷桜岡国民学校と 改称。 S19 学童疎開を福島県東山温泉と 高田町に行う。 S20 戦災にも焼け残る。 S22 台東区立下谷桜岡小学校 →台東区立下谷小学校と改称。 H2.3 閉校式挙行。 114年の歴史を閉じる。 |
M41.6.1 東京市芝崎小学校として 開校。 T1.9.1 金竜小学校開校に伴い、 全職員・児童が移籍して校舎は 閉鎖となったが、校名は残った。 T9 東京市清島尋常小学校と改称。 T10 北清島町に新校舎落成。 T11 学校を再開する。 T12 関東大震災により全校舎焼失。 S4 鉄筋コンクリート3階建ての 新校舎落成。 S16 東京市清島国民学校と改称。 S19 学童疎開を仙台近郊佐勘旅館に 行う。 S20 戦災にも焼け残る。 S22 台東区立清島小学校と改称。 H1 校舎改築のため下谷小に間借り。 H2.3 閉校式挙行。 81年の歴史を閉じる。 |
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| 上野小学校(うえのしょうがっこう) |
| 下谷・清島両小学校の統合先として、文部省のインテリジェントスクール研究校の 指定を受けて建築された、区立社会教育施設及び区立幼稚園との合同校舎の学校。 全館冷暖房、温水プール、コンピュータによる施設集中管理等の機能を持つ。 当時としては先進的な高性能パソコンを備えたパソコン室や、多目的スペース、 サンルーム、オープン構造の教室なども特徴である。 H2.4.1 東京都台東区立上野小学校として旧・下谷小(区役所隣)の校舎を 使って開校。 初代 松野康子校長就任。 H2.10.26 開校記念式典挙行。(開校記念日は11月2日) H2.10.27 開校記念子ども祭り実施。 H3.3.28 清島小跡地にインテリジェントスクールの新校舎(現校舎)落成。 (落成直前の新校舎で第1回卒業式を挙行) H3.4.9 新校舎落成式挙行。 H3.11.1 校歌発表会開催。 H4.1.14 鳩山邦夫文部大臣が本校を視察。 H5年度 台東区研究協力学校発表会 「開かれた学校教育の推進(生涯学習の基礎作り)」 H6.4.1 第二代 中原國明校長就任。 H6年度 開校5周年記念行事。 H8年度 台東区研究協力学校発表会 研究主題 「生き生きと学び続ける子どもの育成(読みを生かす)」 H9.4.1 第三代 成田秀和校長就任。 H10年度 台東区立西町小学校閉校に伴い、本校にも児童が編入。同小に あった「聞こえと言葉の教室」が本校所属となる。(〜11年3月31日) 第41回全国新聞教育研究大会会場校。公開授業実施。 研究主題「情報を主体的に活用し、表現力を高める指導」 H11年度 開校10周年記念行事。・コンサート ・児童集会 ・マスコット(台ちゃん・うてなちゃん)制定 ・公開授業と パネルディスカッション等、記念式典を研究発表と兼ねて実施。 H14年度 台東区研究協力学校発表会 研究主題「チャレンジ ふれる かかわる 自分を高める」 〜Uタイム(総合的な学習の時間)を通して〜 H15.4.1 第四代 笠原慎太郎校長就任。 ○研究主題「自分らしく生きる 確かな力」-国語科・算数科を通して− H16年度 開校15周年。記念運動会、台東区ジュニアオーケストラ公演会 記念式典(11月6日)、記念バースディ集会、記念誌刊行、 周年記念アトラクション(中国雑伎団公演)、記念展覧会等を実施。 ○各学年2学級。児童総数416人(6/1現在) ○研究主題「自分らしく生きる 確かな力」-国語科・算数科を通して− H17年度 ○各学年2学級。児童総数424人(男子209,女子215)(2/10現在) ○研究主題「確かな力の育成」−児童一人一人ができる・分かる楽しさを 感じる算数の授業を目指して− H18年度 ○各学年2学級。児童総数440人(男子216,女子224)(4/11現在) 台東区立台東小学校閉校に伴い、本校にも児童1名が編入。 ○研究主題「確かな力の育成」−できる・分かる算数の授業を目指して− H19年度 ○2年生3学級、他学年は2学級。 児童総数429人(男子209,女子220)(4/6現在) ○台東区研究協力学校。研究主題「読解力を育てる指導法の工夫」 (指導講師・文科省教科調査官 井上一郎先生) H20年度 ○3年生3学級、他学年は2学級 児童総数419人(男子206,女子213)(4/7現在) ○英語活動を本格的に開始(区内各校) ○台東区研究協力学校発表会(H21/1/22<木>) 研究主題「読解力を育てる指導法の工夫 〜児童主体の授業作りを目指して〜」 ○土曜スクール終了(次年度からは授業に) H21年度 ○各学年2学級。児童総数397人(男子201,女子196)(4/6現在) ○土曜授業開始 ○研究主題「読解力を育てる指導法の工夫〜子ども主体の授業作りを目指して〜」 ○東京芸術大学協力のもと、開校20周年記念陶板製作を実施 ○開校20周年記念式典・アトラクション挙行。記念バースデイ集会実施 記念誌刊行 |
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区名の由来 |
| 校名決定の経緯 いろいろな意見が出ましたが、最終的に「上野小学校」「東上野小学校」の2つの候補が 残りました。台東区立小学校の統廃合はその後も続くと予想され、「上野小学校」が 後年に誕生する可能性を考慮し、全国的に有名な地名である「上野」を確保しておいた 方がよいという話になり「上野小学校」に落ち着いたとのことです。 |
| 従って、本校は、戦前にあった「上野小学校」とは無関係です。 戦前に「下谷区立上野小学校」がありました。この学校の系譜は 東京市立万年小学校(明治35年12月創立)→下谷区に移管され下谷区立上野小学校 と改称(大正15年)→上野国民学校と改称(昭和16年)→山伏小と共に入谷小に統合 され坂本小学校と改称(昭和21年)→児童数の減少で閉校となり大正小学校に統合 される(平成8年)。 上野国民学校時代の校地は現在の区立駒形中学校の敷地で、本校の近くです。 資料:東京大空襲前後の上野国民学校職員の手記へ |
| 「上野」という地名の由来 諸説があるようです。台東区誌では、『江戸往古図説』にある「もとこの地 小高き岡にて草生茂り たる地なれば、上野と言ひよしといへり」を採用しています。 以前は、江戸開府の折に当時は「忍岡」(しのぶがおか)と呼ばれていた上野山に屋敷を拝領した 藤堂高虎が、本領である伊賀上野(いがうえの)と地形が似ていることから「上野」と命名したという 説(江戸期の地誌『江戸砂子』による)が広く信じられていましたが、小田原北条氏の文書『小田原衆 所領役帳』(1559年)に北条領として「江戸上野」の記載があり、また、同書に「上野内法林院分」と いう記載もあるため、江戸期以前より上野の地名があったと思われます。また、著名な『江戸名所 図絵』にも、上野の地名が藤堂家ゆかりである云々は誤りであるとの記載があります。 また、小野篁が上野国(かみつけのくに)での任を終えて京へ帰る途中で、この付近に館を建てて暫く 滞在した時、地元の人が篁のことを「上野殿」と呼んだのが「うえの」になったということが、近隣にある 小野照ア神社縁起にあります。 |