施設概要


名作「たけくらべ」の舞台となった龍泉寺町(現・竜泉)の人々は、一葉の文学業績を永く後世に遺すべく、有志により「一葉協賛会」を結成しました。

昭和24年(1949)には戦災で失った「一葉記念碑」を再建し、続いて昭和26年(1951)には一葉記念公園に「一葉女史たけくらべ記念碑」を建設、さらに昭和35年(1960)には一葉の旧居跡に「樋口一葉旧居跡碑」を建立しました。

協賛会は、残る大事業として記念館建設を目指し、有志会員の積立金をもとに現在の用地を取得し、台東区に寄付をして記念館建設を要請しました。

台東区は、こうした地元住民の熱意に応えて、記念館建設を決定し、昭和36年(1961)5月12日に開館に至ったのです。当時、女流作家の単独資料館としてはわが国で初めてのものでした。

その後40年余りを経て、館の老朽化が進んだことや樋口一葉が新五千円札の肖像に採用されたことを機に、平成18年(2006)11月1日にリニューアルオープンしました。


一葉は幼い頃は裕福な家庭に育ちましたが、17歳で父を亡くし、女性でありながら戸主として一家を支えなければならなくなってからは苦労が絶えませんでした。

18歳(明治24年、1891)の時、母と妹を養うために小説家を志しますが、それだけでは生活は成り立たず、生活苦を打開するために、明治26年(1893)7月、龍泉寺町で荒物・雑貨と駄菓子を売る店を始めます。

しかし、商売は思ったようには上手くいかず、翌年5月には店をたたみ、本郷丸山福山町(現・文京区)に転居、執筆活動に専念し、次々と作品を発表するようになります。

十三夜
「十三夜」瀧澤康裕画

一葉は明治25年(1892)、雑誌『武蔵野』に処女作「闇桜」を発表、<奇跡の14ヶ月>といわれる、明治27年(1894)の12月~明治29年(1896)の1月の間に「大つごもり」「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」等の代表作を執筆しています。

特に、名作「たけくらべ」は龍泉寺町での商人としての生活体験が大きな影響を与えたといわれており、龍泉寺町での生活体験がなければこの作品は生まれなかったのではないかともいわれています。


たけくらべ」は、一葉の小説の中でも最も長い小説で400字詰原稿用紙75枚149頁になります。構想は、下谷龍泉寺町時代に練られ、萩の舎での文学的要素と龍泉寺町での極貧生活体験の中から生まれたといわれています。

小説のタイトルの「たけ」の言葉には、「身の丈(身長)」や「思いの丈」という意味がこめられています。

たけくらべ
草稿は四の後半部から
(箱書きは作家の佐藤春夫)

物語の舞台は、龍泉寺町界隈と遊廓吉原になっており、いずれは吉原の遊女となる美登利と僧侶となる信如の思いのすれ違いをはじめとして、大人へと成長していく子どもたちの様子が、季節ごとの行事を織り交ぜながら見事に描かれています。

※当館には、「たけくらべ」草稿が展示してあり、この原稿の推敲のあとを見れば、一葉がどんなに創作に苦しんだかがおわかりいただけます。


一葉の本名は奈津ですが、夏子の署名が多くみられます。

「一葉」のペンネームを使いはじめたのは明治24年秋頃からで、発表された作品では、小説「闇桜」の時からです。

昔インドの達磨大師が、中国の揚子江を一葉の芦の葉に乗って下ったという故事に因んだもので、一葉は「達磨さんも私も、おあし(銭)がない!」としゃれていたといわれています。

しかし、一葉が残した日記や和歌を読むと、波間に漂う一葉舟と、浮世にさすらう自分とを重ねていたことが分かります。



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